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2022年12月26日更新

R4ジョブサポートだより第10号

 ジョブサポートだより  

 授業じゅぎょうのようす ❗        

  社会生活」の時間では、就職面接会の内容を発表し、答え方や課題について話し合いました。

      職場体験に向けて」の授業では、12月から行う現場実習の心得や実習先(企業等)の評価の観点について学びました。また、実習を控え、「通勤時に気をつけること」と題して、自宅を出るときやバス・電車の車内(駅)での注意事項、さらに遅刻や欠勤するときの連絡ポイントなど、社会人としてのマナーについて学びました。

  今年の抱負  

 Aさん:「仕事を頑張る」 「いろいろなお菓子を作る」  

 Bさん:「体調管理に気を付ける」「生活のリズムをくずさないようにする」  

  - おまけ 1-  

 「NHK番組『チコちゃんに叱られる!』」より                 (「2021年6月18日」放送内容より)  

  なんで人は12個でものをまとめたがるの】  お菓子、鉛筆、その他12本でまとまっているもの多いけど、なぜなの・・・ 「争いが起きにくいから」:時計も12時まで、テレビのリモコンも、1年も12か月・・・

 古代エジプトのもっと以前からこの12でひとまとめにするという考えは、人間にとって重要なものでした。狩猟生活の時代から仲間同士で食料や物を分ける際に使われていたのが、この12という数字。例えば、10等分にカットされたピザが1枚あったとすると、これを均等に分けようとすると「2人か5人」の時にしか均等に分けられません。これが12等分になると「2人、3人、4人、6人」でも分けることができます。他の数に比べて12は分けられるパターンが多いのがわかり、分配する際に争いが起こりにくいということなのです。そのほか12という数字は、「分けやすい」という性質の他に「並べやすい」という性質も持っています。10個入りだと1×10、2×5、5×2、10×1というパターンで並べられるだけですが、12個入りだと1×12、2×6、3×4、4×3、6×2、12×1と陳列のパターンが多く並べやすい。つまり、12個入りだと、売る側は並べやすく、買う側は、分けやすく、Win-Winの関係! ということで、「どうして人が12個で物をまとめたがるの?」は、「争いが起きにくいから」。

  - おまけ 2-       

 「NHK番組『チコちゃんに叱られる!』」より                  (「2020年1月3日」放送内容より)      

  たこあげはなんで「たこ」なの・・・「イカが禁止されたから」:凧の起源は紀元前4世紀ごろの中国で使われていた紙鳶(しえん)。これは戦いの時に遠くの味方に合図を送る目的で使用されていて、敵に怪しまれないように野鳥に似せたデザインになっていました。その後に、平安時代に日本に伝わった紙鳶は病気などが風に乗って来るのを追い払う厄払いの道具として使われるようになり、それがいつしか様々な形に変化して日本全国に広まっていきました。江戸では空中でバランスを取れるようにするために、数本の長い紙や糸がついたものが多く作られるようになり、このヒラヒラとした足のようなデザインから「いか」または「紙鳶(いかのぼり)」と呼ぶように。これが、当時庶民の間では大人も行う遊戯として爆発的に流行。しかし、大流行したせいで江戸では社会問題化してそれが「いか→たこ」に呼び名が変わった原因なのだそうです。

 時は正保3年の江戸。町人に交じっていかのぼりに興ずるのは町人のふりをした三代将軍家光?。するとそこに現れたのは喧嘩っ早い町人。いかのぼりで張り合う二人でしたが、白熱するあまりにいか同士が絡んで真っ逆さま。これをきっかけに喧嘩に発展しますが、これが当時の江戸で社会問題化。いかのぼりが原因で喧嘩が多発したり、落下したいかのぼりでけが人や時には死者まで出る事態にも。そしてこれに追い打ちをかける大事件、それが正保3年3月25日に起きた「火のついたいかのぼりが江戸城に落下」するという事件。このあわやテロ事件という出来事に江戸幕府は「いかのぼり禁止令」を発令。これに落胆したのは江戸の町人たち。娯楽を失った悲しみに暮れますが、そこで町人たちは「『いか』ではなく『たこ』をあげているんだ。」というしたたかな屁理屈で対抗。しかし、喧嘩沙汰や死傷者の発生は変わらず起きており、結局幕府は明暦2年に「たこのぼり禁止令」を改めて発令。しかし、この禁止令も庶民は無視。取り締まる側も大目に見るという処置。そのうち、年中行われていたたこあげはお正月に家内安全・商売繁盛を祈願してあげられる季節ものの風物詩に移り変わっていき、現在もその習慣が残っているとのこと。・・・たこあげが「たこ」なのは、イカが禁止されたから。

  「たこが高く上がるのは風に乗っている時ではなく、向かい風に立ち向かっている時だ」(ウィンストン・チャーチル)  

 あれこれ記者ノート❗           

(1)雑 学            

  「稲盛和夫」                 (「NHKビジネス特集」より)                   

 “経営の神様”とも呼ばれた京セラの創業者、稲盛和夫氏が亡くなりました(2022.8.24)。

町工場から一代で世界的企業に成長させるとともに、経営破綻した日本航空の再建にも尽力。様々な功績を残しましたが、その言葉や経営哲学は、国内外の多くの経営者たちに影響を与えています。

 生前、NHKのインタビューで、「人間として何が正しいかを座標軸に、そこから物事を全て経営判断することが大切だ。成功した経営者が『俺は社長だ、専務だ』と威張っているのを垣間見るが、そんなんじゃいかんと思う。上に上がれば上がるほど責任は重くなって、これでいいのだろうかと常に自戒し努力をしていく。そんな生真面目な経営者であってほしい。」と語っています。

 また、「盛和塾」と呼ばれる勉強会では、「フィロソフィを説く私のベースにあったのは、何よりもみんなに幸せになってほしいという純粋な想いでした。『こういう考え方で生きていけば、充実した幸せな人生を送ることができるはずだ』と強く思っていたからこそ、多くの人々にそのことを知らせたかった。『従業員に素晴らしい人生を送ってほしい』という強い思い、限りない愛が全て根底になければなりません。経営者本人が常に自らに厳しく規範を課し、人格を高めようとし続ける姿を示すならば、それを見た従業員もおのずからフィロソフィの実践に努めようとするはずです。従業員のために社長が誰よりも苦労している姿ほど、共感を得るものはありません。ですから、会社の中で経営トップが一番苦労しなければなりません。そうすれば、従業員は必ずついてきてくれるものです。」と述べています。

 さて、稲盛和夫氏と食事をしたことのある人物は、皆驚く。信じられないぐらいに庶民的なお店ばかりを選ぶからだ。重要な接待の場面で吉野家の牛丼を選ぶという(吉野家の店舗ごとにおける味の違いが分かるという)。サッカー選手のラモス瑠偉さん、京都府知事を食事に誘ったのも吉野家有楽町店だったそうです(吉野家有楽町店は頻繁にお客が訪れるため、牛丼を煮込み過ぎたりせず、品質が安定して良いという)。

 上に立つものは、「自分を惚れさせる」ことが大切だとも言う。稲盛氏がやるとドケチにならないのは、全人格をかけて贅沢を嫌っているからです。お金が惜しいわけではなく、莫大なお金をポーンと財団に寄付する。その一方で、ラモス氏などの相手であっても吉野家でいいと考えるから、美しい。

 「経営の神様」と稲盛氏が呼ばれるのは、きっとこういう普通の人間ではできない所作を、愚直に実践してきたからだ。ビジネスに身を置いていると、人より能力があると思われたいし、出世もしたくなる。しかし、周囲からの評価なしで営業の数字を上げたところで、組織にヒビが入っていくだけである。「こいつのためなら、命がけになれる」とまで言わせるカリスマ性がなくてはならない。そのカリスマ性はどうやって生まれるかといえば、周りのことを第一に考え、世の中に何が必要で、何をすべきかをとことん考えることだと、稲盛哲学は教える。だからこそ、上に立つものは、全人格を磨かなくてはならない。

 「“やるしかない”から“どうしてもやりたい”仕事へ(新津春子)」  (「転職会議レポート」より)

 私の人生の恩人となる日本空港テクノ株式会社の鈴木優常務が、清掃の職業訓練校で教えていたことから、入社したいと何度も掛け合いようやく入社することができました。アルバイトでいろんな現場に行って勉強した後、2〜3時間寝てからまた羽田空港で仕事をするというような生活を送っていました。材質にあった短時間で落とせる洗剤を状況に応じて使い分ける必要があるので、とにかく自分で研究をする毎日でした。自分の清掃技術には自信を持っていたので、「全国ビルクリーニング技能競技会」予選大会は1位を取ることができると確信していたのに、結果は2位でした。私がなぜ2位になったのか納得がいかなくて鈴木常務に聞くと、「あなたには優しさがない」と言われました。「道具を作った人の気持ちを考えているか」と言われました。それから、自分以外の人を意識した上で技術を考えるということが、自分の目標になりました。鈴木常務から、「心を込めないといい仕事はできない」ということを教わりました。「次の人が使う時のことを考え、感謝の気持ちを込めて清掃すること」だと。

 視野が広くなると全体の中で仕事のポイントがつかめるようになり、効率が上がり、心に余裕が生まれます。すると、みんなに優しくできるようになり、自然とお客様と会話が生まれ、「綺麗にしてくれてありがとう」と声をかけてくれるようになる。言葉をかけてくれると嬉しくて、もっと綺麗にしようと思うし、自分を見てくれている誰かがいれば緊張感を持って仕事をするため、より仕事が楽しくなるんです。

 多くの人が行き交う場所では、人の動きに配慮して道具を扱わなくてはいけないし、転びやすいところや荷物を落としやすい場所など、環境に応じた人の動きに配慮した清掃法を判断してできるようになっていきました。

(新津さんが働く羽田空港は、英国スカイトラックス社が実施する国際空港の格付けランキングで、過去4回にわたり、「世界で最も清潔な空港」に選ばれました。)

 「3分診療ではダメ(加藤庸子)」         (「ザテレビジョン」より)

 愛知県内の病院で脳神経外科医として働く加藤さん。くも膜下出血の原因となる脳動脈瘤“クリッピング術”のスペシャリストとして知られ、「医学史上最高の女医の一人」とも賞賛される医学会のレジェンドだ。一般的な脳外科医が年間に30件の手術を行うところ、加藤さんが手掛ける手術数は年間150件にものぼり、これまで行った手術は3000超。多数の手術を抱え、ただでさえ多忙を極める加藤さんだが、名刺にはなんと自身の携帯電話番号も載せ、24時間いつでも患者から直接連絡が取れるようにしている。加藤さんは、「患者との間の歴史がありますので、できるだけ私の手で助けてあげたい。電話って、かけたい時が“返事が聞きたい時“だと思うんですよね。だから私は手術中でも、もし差し支えない時間帯であれば電話に出るようにしています。」と、名刺に番号を掲載することの思いを口にした。世界的権威となった今も“患者に寄り添い、安心を与えることが医療の基本”という信念を持ち続ける。

 さらに、加藤さんは40年ほど前から、過去に担当した同じ症状の患者たちを集めたバスツアーも定期的に企画している。「(手術後、診察に訪れる患者さんは)『何も悪くないです』とおっしゃる方も多いんですが、実際に旅行をして階段やバスの昇降をやってもらうと全然ダメなんです。そういうところで、その患者さんが日常苦しんでいるところを掴まなければ意味がない、と。“(待ち時間ばかり長くて診察があっという間の)3分診療”ではダメなんだよ、ということのために一晩泊まって。そうすると、半身まひの人が何を困っているかってことが分かるんです」と、バスツアーの狙いを語った加藤さん。また、手術から3年、5年、7年と経過した患者がともに時間を過ごすことで「今の私は大丈夫なんだ」「3年たったらこうなるんだ」と感じ、安心を得られることも、加藤さんがバスツアーを企画し続ける理由の一つだという。

 加藤さんの医師としての活動は日本国内にとどまらず、発展途上国へ医療技術を教えに行くなど世界にも広がっている。費用は自ら負担し、多い時は年間20か国を訪れることも。「それを仕事と思うかどうかですよね。若い人たちを育てることはいいことだと思っています。」

 「先生が考える良い医師の条件は?」という質問に、「当たり前のことですが、あの先生のところに行ったら治るってことですよね。ただ、治す力の中には技量や知識、それだけじゃなくて心のケアが大事かなと思いますね。そういうことも大きく含めた治療ができる医者がいい医者じゃないのかな」と。

 加藤さんは、「休日は飛行機に乗ってる時だけ。仕事が趣味。」と語り、24時間患者と向き合い続ける。

(2)その他               

   – おまけ 3 –              

  「井上ひさし!」      

  「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことはあくまで愉快に」(言葉の使い手として)

  「アントニオ猪木!」     

  「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ」

  「美輪明宏!」       

  「見えるものを見ず、見えないものを見よ!」 (一つのものを見る時に、多角的に物事を見た方がよい。目に見えるものを見なさんな。見えないものを見なさい)

  「シェークスピア!」        

  「愚者は己が賢いと考えるが、賢者は己が愚かなるを知る」

  – おまけ 4-                 

「『ごちそうさま』と『韋駄天(いだてん)』の関係は 」      

   「ごちそうさま」を漢字で書くと「御馳走様」となります。「馳走」とは、「馳」は馬が背をうねらせている様子から生まれた象形文字で「速く走る」という意味、「走」は「走る」という意味ですから、「馳走」は「速く走る、駆け回る」という意味です。韋駄天には、お釈迦様のために(あるいは仏道修行者のために)方々を駆け巡って食物を集めたという話があり、そこから転じて、食事を用意してくださった人に「韋駄天のように馳走して食事を用意してくれてありがとうございます」と感謝の気持ちを込めて、「御馳走さま」=「ごちそうさま」という言葉が生まれたのです。ですから「御馳走(ごちそう)」と言った場合は、ただ食べ物のみを指すのではなく、その食べ物を作るための努力も含めて「御馳走」と言うのです。

  – おまけ 5 –                  

  「ファーストペンギン」           (「日本の人事部」より)

 「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛び込む1羽のペンギンのこと。転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼びます。

 ペンギンは、多くの個体が隊列を組んで氷上を移動したり、エサの魚を囲い込んで捕食したり、常に群れで固まり集団行動を取ることで知られていますが、実はそのペンギンの群れには、特定のリーダーがいません。例えば、群れに何らかの危険(シャチやトド、オットセイなど)が迫った場合は、いち早く察知した1羽の後に続くことで、周りも一緒に難を逃れます。強いボスやリーダーではなく、“最初の1羽”に従うのが彼らの集団行動の特徴です。生命の危険を顧みず、真っ先に飛び込んだペンギンは、身をもってその海が安全であると仲間に示す一方、そうすることで誰よりも確実に、お腹いっぱいのエサにありつくチャンスを得ます。

 ハイリスク・ハイリターンは、人間社会の生存競争にも通じる理です。ビジネスの世界では、かつて誰も足を踏み入れたことのない領域に挑むベンチャー企業(世界的IT企業など)の創業者やイノベーションを引き起こすプロフェッショナルのことを、この勇敢な“最初の1羽”になぞらえて、「ファーストペンギン」と呼びます。

    – おまけ 6 –             

 「読書:速く、効率よく読むためのポイント」           

  ・ 「文字を見る→音声化する→理解する」から、「文字を見る→理解」へ(心の中で音読するのをやめる)

       ・ 視線は上下ではなく、「左」へ移すだけ

  就労支援員さんとの面談会(12/14):面接会の様子や実習の予定、将来の進路希望について、話しました。